京都大学 都市社会工学専攻藤井研究室

京都大学大学院工学研究科 都市社会工学専攻
交通マネジメント工学講座 交通行動システム分野

統計的「裁判」としてのデータサイエンス

日本行動計量学会第42回大会発表論文抄録集、2014(印刷中)
特別セッション『データサイエンスの現状』発表論文

統計的「裁判」としてのデータサイエンス~適切な公共政策判断のために~

 

京都大学大学院教授 藤井 聡

1 はじめに
 公共政策は、国民の安寧、国家の安泰に極めて甚大な影響を及ぼす以上、その判断は、質的あるいは量的な様々な側面に配慮しながら総合的に下されねばならない。したがって必然的に、公共政策判断においてデータサイエンスは極めて甚大な役割を担い得る。例えば政府の財政金融政策はその典型例である。
 しかし、経済学等の社会科学において、「計量経済学」も含めて必ずしも十二分にデータサイエンスが活用されているとは言い難い。結果、多くの現代研究者が、個々の研究者が属するパラダイムおよびそのパラダイムに定位される利権構造の「維持活動」に膨大な知的・時間的・人的投資を図るという著しく不条理な事態が展開されているという疑義が濃厚に存在している。すなわち、特定の社会科学理論やイデオロギーが正しいという「認知」を共有する科学者集団が、その認知と不協和な諸認知(たとえば、他の理論や実証データ)との間の「認知的不協和」を低減させるために、一般には「不正」ともいわれるような様々な集団的活動を展開しているケースが散見されるのではないかと危惧される。
 本稿では、そうした危惧の具体的事例として、今日の財政金融政策に巨大な実際的影響を及ぼしている「リフレ派」と呼ばれる人々の「パラダイム維持活動」に着目し、その正当性をデータサイエンスの観点から「統計的裁判」として検証する事例を通して、今日の社会科学と公共政策の危機的状況の輪郭を描写すると同時に、データサイエンスの抜本的重要性を明らかにする。

2 データサイエンスによる「外部評価」
 言うまでもなく、データサイエンスが統計的裁判機能を発揮し得るためには、その「被告」となる理論や仮説(以下、被告仮説と呼称する)が定量的なデータで検証可能であることが必須である。そして、その被告仮説が「偽」であった場合の社会的被害が大きいものであるケース程に、データサイエンスの統計的裁判機能の社会的重要性が高まることとなる。
 こうした視点で考えた時、とりわけ社会的重要性が高い被告仮説として挙げられるのが、今日アベノミクスと言われている政府の取組において採用されている各種の経済政策上の諸仮説である。たとえば、トリクルダウン仮説(大企業を優遇し中小企業を相対的に軽視することでな国民経済が成長する)、セイの法則(産業生産性を向上させれば国民経済が成長する)、完全雇用仮説(非自発的な失業者は存在しない)、乗数効果の低減(公共投資の景気刺激効果は低減している)、低水準の税収弾性値(GDPが1%伸びても税収は1.1%程度しか伸びない)、リカードの比較優位説(自由貿易を増進することで、強い産業はより強化され、弱い産業は淘汰され、トータルとして国民経済は成長する)等は、日本経済、日本社会の将来に甚大なる影響を及ぼし得る「アベノミクス第三の矢=成長戦略」の諸政策の重要な理論的根拠となっている。しかし、これらの諸仮説は、数多くのその他の経済理論と不協和な関係を所持しているのみならず、数多くの実証データとも、巨大かつ深刻な不協和を抱えており、一般的な他分野の科学者からみれば、十分に「反証」されていると認識できる水準にある。
 それにも拘わらず、これらの諸仮説が未だに大多数の経済学者に採用され続け、そして、今日の政治・行政の中で重大な政策判断の基準として実際に活用され続けているのは、これらの諸仮説を弁護するための「実証分析」が「計量経済学」なる、「学術的権威」を帯びた領域で提供され続けているからである。
 万一、この「計量経済学」の実証分析が、データサイエンスの観点から考えて十分に正当なものなら、当該分野外の科学者がこの問題を検証する必要は無論ない。しかし、少なくとも筆者が確認した範囲においても(そして後術するように)、必ずしも十分とは言い難い計量経済学分析が散見されるのが実情である。言うまでもなくこれらの諸仮説は、日本の国益に甚大な影響を及ぼしていることは明白である以上、分野外の科学者が、外部評価を徹底的に行う必要性は極めて大きい。しかも、経済学者集団が彼らが信奉する上述の様な諸仮説を正当化するために、経済学、計量経済学を「活用」しつつ、集団的な認知的不協和を低減させている疑義も十分に考えられる以上、こうした外部評価を行うことの重要性は、決定的であると考えることもできるであろう。
 ついては本稿では、こうした社会的、国家的に重要な影響力を持ちうる経済仮説の中でもとりわけ大きな影響力を持つ「リフレ派」と一般に言われる集団を取り上げ、彼らが主張する理論諸仮説(本稿ではこれを、リフレ論と呼称する)を被告仮説とした統計的裁判を行った事例(藤井、2014a, b, c)を紹介する。

3 リフレ論についての統計的裁判1 (物価への無影響)
 「リフレ論」とは、現在のアベノミクスの展開における、とりわけ「第一の矢」と呼ばれる金融緩和策の理論的裏付けとなっている。中央銀行からの貨幣発行量を増大する(すなわち、金融緩和を行い、マネタリーベース=MBを増大させる)ことで、市場関係者の期待が改善し、物価上昇をもたらし、それを通して、国民経済が改善していくという説である。この点については、安倍内閣発足以後、リフレ派の主張に沿った金融緩和が行われると同時に、実際に株価が大きく改善し、為替も大きく円安の方向に変化したことから、リフレ論の有効性は、関係者の間で一定の信頼を獲得しているのが実態である。
 しかし、株価、為替は国民経済の諸尺度の一部にしか過ぎない。むしろ、国民経済の良し悪しを図る上では、実質的な国民所得や失業率が重要であると考えるのが一般的であり、したがって、リフレ論そのものが今日において、実証されたといえる状況にあるわけではない。しかも、安倍内閣発足以後実施された経済政策は、金融緩和のみでなく、10兆円規模の補正予算による財政政策もあるのであり、仮に日本経済が改善した傾向が見られたとしても、その原因の全てを金融緩和にのみ帰着させることはできず、したがって、リフレ論が検証されたとは決して言えないのが、適正な科学的判断であると考えられる。以下、このリフレ論を被告仮説とした統計的裁判を行った事例を紹介する。
 まず、リフレ論が今日の日本において妥当するか否かを考える上で重要となるのは、「過去の金融政策が、日本の物価に肯定的影響をもたらしたか否か」という一点である。
この点について、日本がデフレに突入した1998年から今日までのデータを用いたところ、マネタリーベース(日銀が発行する貨幣量)とデフレータ(物価)との間の相関係数は、「-0.77」(p <.001)という、リフレ論と真逆の「マイナス、かつ有意」という結果が示された。あわせて、名目GDPとの相関係数を求めたところ、同じく、「マイナス、かつ有意」という結果が示された(r = -0.58, p <.05)。この結果は、少なくともデフレ状況下では、金融緩和は物価に肯定的影響をもたらし、GDPを回復させるという、リフレ論が予測する結果は全く見られないことを示している(なお、これと同様の分析を、タイムラグや変化率を考慮し、かつ、CPI等の他の尺度も用いつつ、考えられ得る百何十通りという組み合わせで相関分析を行ったが、すべての分析でリフレ論は棄却された)(藤井、2014a参照)。
したがって、いまだデフレ状況下にある今日の日本で、金融緩和(すなわち、アベノミクス第一の矢)が物価を改善させ、名目GDPを成長させる効果を期待することは、絶望的に難しいという疑義が極めて濃厚なのである。
 なお、この実証結果を、藤井(2014b)という形で一般誌上に公表するとともに、政府内外におられるリフレ派の主要な論客に直接送付し、弁護を呼びかけたところ、「正式」(あるいは、「真っ当」)な回答はほとんど得られなかったものの、唯一、その内の一名の原田泰氏から筆者への反論論文が一般誌上で公表された(原田、2004)。しかし、その回答・弁護の要諦は、「金融緩和と物価と名目GDPとが相関していないという事実は、リフレ論の論駁とはならない」という趣旨であった[補論1]。しかしこの反論は残念ながら、原田氏も含めたリフレ派の方々が主張してきた発言(たとえば、インフレターゲット論等)を覆す論理に基づいており、到底受け入れられるものではない。したがってこの件については、リフレ論が「偽」であると申し立てた当方の「統計的裁判」において、もしも、データサイエンスを知悉した見識ある裁判長が存在するとすれば、少なくとも現状ではリフレ論の「有罪」は確定した状況にあるといって差支えないものと考えられる。

4 リフレ論についての統計的裁判2 (マンデルフレミングモデル)
 さて、筆者がリフレ論の疑義を申し立てた論点の一つに「マンデル・フレミングモデル(以下、MFモデル)」にまつわるものがある。これは、国家間で交易がおこなわれる状況下で、各国の金融政策や財政政策が、それぞれの国の国民経済にどのような定量的影響を及ぼすのかを各国の為替制度の相違を踏まえた上で理論化したモデルである。このモデルの主要な帰結は、固定相場制を採用する場合には金融政策の効果はなく財政政策の効果はある一方、変動相場制を採用する場合には財政政策の効果はなく、金融政策の効果のみが存在する、というものである。原田氏をはじめとしたリフレ派の人々は頻繁にこのMFモデルを持ち出し「財政政策(第二の矢)は有効性が乏しい、そして、金融政策(第一の矢)こそが有効である」と主張し、自説を正当化する論拠に活用している。
 しかし、このMFモデルが日本に妥当しなければ、これをリフレ論の正当化根拠に活用することは当然ながらできなくなり、かつ、財政政策無効論を主張することもできなくなる。
 かくして、筆者は、MFモデルが現状の日本に妥当するか否かを検証したところ、日本の実証データがこのMFモデルの日本における妥当可能性を明確に棄却する結果を得ている(藤井、2014b, c)。MFモデルが正しければ、国債発行額の拡大によって金利は上がり、為替は円高に向かうはずであるが、「金利」に関しては、MFモデルの予測とは「真逆」の、統計的に優位な「マイナス」相関が確認された(特例国債を用いた1980年からのデータでr = -0.89, p <.001; 1990年からのデータでr = -0.87, p <.001)。一方、「為替」については、国債発行額と、MFモデルの予測に一致する方向のマイナスの有意な相関(r = -0.65, p < .001)が確認されたものの、為替に対して直接的影響を及ぼすことが理論的に明らかにされている物価(デフレータ)変化率の影響を排除した(偏)相関は、MFモデルの予測を反証する結果であった(インフレ期とデフレ期の双方のデータが得られている80年代以降のデータで、偏相関係数 = -0.07, p = .72)。これらの結果は、MFモデルが今日の日本に妥当するとは、統計的には全く考えられないことを示している。つまり、MFモデルを根拠として金融政策の有効性と財政政策の無効性を主張するリフレ派の集団的主張(例えば、原田、2004)は、データサイエンスの観点からは、一切正当化しえぬものであると明白に判断できるのである。

5 おわりに
 本稿では、今日の政治行政に大きな影響を及ぼしている諸理論の中には、データサイエンスの観点からは正当化しえぬ疑義を色濃く持っているものが多くある可能性を指摘し、その一例として、アベノミクスの展開に巨大な影響を及ぼしているリフレ論を例として、その可能性は統計的に明白であることを指摘した。今後はこうした「統計的裁判」を重ね、その帰結を世論、行政、政治において共有していくことが、公益増進の点からさらに求められているものと考えられる。

[補論1] 原田氏は、その反論論文の中で、重要なのは実質GDPであって、物価や名目GDPではない、と主張し、金融緩和の程度(以下、マネタリーベース=MBと呼称)と実質GDPとの間にプラスの相関があることを主張し、金融政策の有効性を弁護している。しかし、この弁護は、論理的な破綻をきたした弁護である。
 そもそも、原田氏が準拠するリフレ論では、金融緩和が期待インフレ率にプラスの効果をもたらし、それを通してインフレ=物価上昇がもたらされ、それを通してGDPが名目値、実質値ともに増大していくことを主張している。したがって、リフレ論の弁護を果たすなら、物価、名目GDP、実質GDPの全てが、MBとプラスの相関を持たねばならない。しかし、実体は、MBとプラスの相関を持っている指標は実質GDPのみであり、物価と名目GDPについては理論を反証する実証データが得られているのである。この時点で、原田氏の弁護は失敗していると結論付けることが可能である。
さらに言うなら、原田氏が準拠するリフレ論の根幹にある「インフレターゲット論」は、明確に物価の上昇を目標としているのであり、その原田氏が、「金融緩和で物価が下落していること」について問題がないと強弁することは、明確な論理破綻だということができよう。
 なお、原田氏が報告しているMBと実質GDPの間にプラス相関があるという事実と、筆者が報告したMBとデフレータ(物価)・名目GDPとの間にマイナス相関があるという事実とは、論理的に極めて整合的な結果である。そもそもこれら三者には「実質GDP=名目GDP/デフレータ(物価)」という関係がある。したがって、名目GDPの減少率よりもデフレータの減少率の方が大きい場合、必然的に実質GDPは増加していく。そして実際、現在の日本では、「デフレが過激に進行している」が故に、名目GDPの減少率を上回る速度でデフレータ(物価)が過激に減少しているのであり、これによって、実質GDPがMBの増加に伴って増加しているように「見えて」いるのである。つまり、原田氏が主張するMBの増加に伴う実質GDPの増加は、MBの増加に伴うデフレの深刻化によってもたらされているのである。この点から考えても、原田氏の弁護は論理破綻しているという事は明白である。

参考文献
藤井聡(2014a)ステージ・チェンジ!、新日本経済新聞2014.4.15.
藤井聡(2014b)ついに暴かれたエコノミストの「虚偽」、Voice 2014年5月号.
藤井聡(2014c)「統計的検定」とは、ウソを見抜く「裁判」です。 新日本経済新聞2014.4.22.
原田泰(2014)[アベノミクス第二の矢]ついに暴かれた公共事業の効果、Voice2014年6月号